臨済禅について

臨済禅について

臨済宗妙心寺派 禪林院住職の山田哲岳です。
今回、臨済禅について記事を書くことになりましたのでお付き合い下さい。

現在、日本の臨済宗は14派あります。

神奈川県鎌倉市に建長寺派・円覚寺派
山梨県甲州市に向嶽寺派、静岡県浜松市に方広寺派
富山県高岡市に国泰寺派、滋賀県東近江市に永源寺派
広島県三原市に仏通寺派、そして京都には、南禅寺派
東福寺派、建仁寺派、相国寺派、天龍寺派、大徳寺派、妙心寺派。

なぜ14派にもわかれているのでしょう?
ケンカ別れでも、派閥争いでもなく日本に伝えられた経緯が違うのです。

臨済宗の開祖は栄西禅師と教科書で習ったことがあるかと思いますが少々違います。
明庵(みょうあん)栄西(ようさい)禅師は、比叡山延暦寺出家得度をして天台宗を学ぶため、
日本から現・中国へ渡り(入宋)ましたが、虚庵懐(こあん えしょう)禅師より、
臨済禅を学び日本に伝え、さらに真言宗も学び得たそうです。
帰国の折、お茶の種を持ち帰り、臨済禅と共にお茶を飲む習慣も広められたそうです。

栄西禅師は、鎌倉幕府2代将軍・源頼家公の外護により建仁寺(京都市東山区)を建立し、
建仁寺の開山(最初の住職)様となられました。
なので、臨済宗の開祖とは違うんですね。

建長寺(鎌倉市)は、北条時頼公が建長寺を創建した際、
中国より蘭渓(らんけい)道隆(どうりゅう)禅師を招き開山様となられました。

円覚寺(鎌倉市)は、建長寺御開山・蘭渓道隆禅師が遷化(僧が亡くなること)のあと、
無学(むがく)祖元(そげん)禅師が、中国から招かれ建長寺の住職とともに
北条時宗公により創建された円覚寺の開山となられました。

大徳寺(京都市紫野)は、南浦(なんぽ)紹明(じょうみょう)禅師の元で修行された
宗峰(しゅうほう)妙超(みょうちょう)禅師が開山様で、後醍醐天皇、花園法皇より
帰依を受け庇護されました。

妙心寺(京都市花園)は、花園法皇が帰依されていた宗峰妙超禅師(大徳寺開山)が臨終間際、
「師がいなくなってしまったら、誰に教えをこえばいいのでしょう?」と聞いたところ、
岐阜県伊深で修行されていた高弟の関山(かんざん)慧玄(えげん)禅師を推挙され、
花園法皇の離宮に妙心寺を建立し、関山慧玄禅師を開山様とされました。

栄西禅師のように日本から中国に渡り臨済禅を学んだり、
蘭渓道隆禅師や無学祖元禅師のように中国から招かれて臨済禅を伝えたり、
宗峰妙超禅師や関山慧玄禅師のように日本にいながら臨済禅を学び広めたり、
様々な形で臨済禅が伝えられているので、現在14派にわかれております。
が、交流もあり法要や行事ごとには行き来があります。

では、臨済宗の開祖と呼ぶべき方の名は?
中国・唐代の臨済(りんざい)義玄(ぎげん)禅師です。

臨済宗は、黄檗(おうばく)宗や曹洞(そうとう)宗と同じ禅宗となりますので
坐禅修行が主な修行内容となります。
ただ、同じ坐禅修行であっても曹洞宗の只管打坐(しかんたざ)、黙照(もくしょう)禅とは違い
看話(かんな)禅、公案(こうあん)禅となります。

公案とは、昔の祖師(僧侶)方の言動が記録されている語録(書物)より、
師匠が弟子それぞれに問答として提示し、弟子は懐に生卵を抱くように
下っ腹に公案を収め、坐禅中や食事中、読経中も托鉢中も作務中
トイレも風呂も歩いていても、兎にも角にも二六時中24時間向き合います。

公案は頭で考えていては答えがみつからない厄介なモノです。
臨済宗の修行では、「工夫しろ!」「なりきれ」と怒られます。

坐禅中に首を刎ねられたとしても、後悔のないように一呼吸一呼吸になりきれと。
掃除中は掃除に、食事中は食事に、物事の一瞬一瞬に真剣に向き合い
「なりきり」ることで暑さも寒さも忘れ、無駄な考えを一切省き
自分自身と物事と一体になったとき、箒で掃いた小石が竹に当たった音や、
カラスの鳴き声で「悟り」を得られた祖師方がいらっしゃいます。

また、執着や固執、捕らわれることを嫌われます。
昔、修行僧が2人歩いていると、橋がなく川を渡れず困っている女性がいました。
1人の修行僧が女性を抱きかかえ、無事に川を渡りきり女性と別れました。
しばらく歩くと、もう1人の修行僧に「女性に触れることは戒律に背きます」と言われ
「あなたは、まだ女性を抱いていたのか?私は、とっくに女性を降ろしてきたぞ」答えた。

臨済宗には、不立文字(ふりゅうもんじ)・教外別伝(きょうげべつでん)と言う言葉があります。
文字に書いても言葉で伝えても、受取手の都合や解釈一つで変わってしまう
政治家の答弁が強引に解釈をねじ曲げてしまうようなものかも。
言葉で伝えれば伝える程に本質から離れていってしまう恐れもあります。

海を見たことがない人に「海」を説明しても、広さや青さは言葉では伝えきれず、
富士山に登ったことがない人に、登りの大変さや寒さ、頂上からの景色は話しても伝わらず、
自ら禅も体験してみないと味わうことは難しいのです。

師匠の一挙手一投足を弟子に受け継いでいくこと
器(師匠)に入った水(教え)を一滴残らず別の器(弟子)に移してきたのが臨済宗です。

臨済宗妙心寺派の寺院に下記の言葉が飾られています。

生活信条
一日一度は静かに坐って 身(からだ)と呼吸と心を調えましょう
人間の尊さにめざめ 自分の生活も他人の生活も大切にしましょう
生(い)かされている自分を感謝し 報恩の行を積みましょう

信心のことば
わが身をこのまま空なりと観じて 静かに坐りましょう
衆生は本来仏なりと信じて 拝んでゆきましょう
社会を心の花園と念じて 和やかに生きましょう